2010年2月6日土曜日

「ウラニウム戦争」 読了


この本の副題は「核開発を競った科学者たち 」というもので、ウラニウムの発見から 核分裂の発見、核分裂連鎖反応の確認、米独の核爆弾開発へのさまざまな科学者の 関与を、最近公開された秘密文書も含めたエビデンスを使って、論証している本です。
特に前半部はキュリー()、リーゼ・マイトナーという三人の女性科学者を中 心にマイトナーによる核分裂の発見までを書いています。 後半は、この核分裂の発見から、原爆の開発・使用に関する物語を秘密文書を軸に 書き込んでいます。
この核分裂という物理現象は学校で習っていたときには、ふ~んと聞いていましたが、あらためて、その発見の流れを追うとなかなか面白かったです。簡単に説明しておきましょう。
この核分裂という現象を最初に観察したのは、キュリー(娘の方)でした。 それは、1934年エンリコ・フェルミがウラニウム原子に中性子を衝突させることで、中性子が ウラニウムの原子核に吸収されU239という超ウラニウム元素を生成するとした論文 の追試中の出来事でした。 キュリーが追試した結果、ウランに中性子を照射した時の半減期 3.5Hの放射能元素は ウランより軽いランタンであり、フェルミの予想に反するものでした。 しかし、キュリーは原子物理学者とはいえ、理論的な面ではなく実験面の人であったため、 この事実(ウランの核分裂によりランタンが生成される、本当はその19分前に生成されたバリウム141(141Ba)→(β-崩壊・半減期 18.27分 )→141La ランタンですが)に気付くことはなかった。 当時はラザフォードの原子核モデルのように強固な原子核モデルが想定されており、 原子核が分裂するには大きなエネルギーが必要であると考えられていたので、 分裂という現象自体を想定できなかったという背景もあったようです。
逆に、フェルミの論文を信じ、キュリーの結果の間違えを確認しようとした、ドイツの 物理化学者オットー・ハーンと理論物理学者のリーゼ・マイトナーのドイツの研究者が この現象をボーアの原子核の液滴モデルを適用して理論的に核分裂のプロセスを示した。 正確に言えばハーンは実験結果(生成物としてバリュームを確認)を示し、その解釈をマイトナーが行ったということで共同研究の結果だったわけですが、ハーンはこの業績でノーベル賞を受賞したのですが、ユダヤ人で亡命中だったマイトナーにノーベル賞は授与されませんでした。

ハーン、シュトラスマン、マイトナー、フリッシュによる核分裂現象の発見 (16-03-03-11)

この原子核分裂プロセスでは一方が重く(質量数140程度)、一方は軽い(95程度)核になる。 この重いほうがキュリーの確認したランタンでした。 さらにこの時、2個程度の中性子が生成される。この中性子が次々と別のウラニウムの 原子核分裂を連鎖的に発生させる事が予想され、この核分裂の連鎖反応を制御するのが 原子炉であり、無制御で高速に反応させるものが原爆となるわけです。
ただし、このような核分裂は安定的なウラン238では起こりにくく、ウラン235 という不安定なウランでのみ可能であり、ウラン235は天然のウランの0.7% 程度しか存在しない。原爆の原料とするためには、90%以上までウラン235の 濃度をあげる必要があり、この濃縮ということにより原爆の原料U235を製造していた 工場がオークリッジでした。 広島に落とされた原爆はこのオークリッジ工場が精製したウラン235を原料にした 原爆「リトルボーイ」でした。
さて、広島型原爆「リトルボーイ」ですが、これに先立つ約1カ月前に (1945年7月16日午前5時29分45秒) ニューメキシコの砂漠トリニティ実験場(北緯33.675度、西経106.475度)で 最初の原子爆弾の爆発実験が行われました。 ちなみに、このあたりは、現在はホワイトサンズ(空軍・陸軍)基地などの 軍の施設があり、ミサイル実験やロケットの打ち上げなどに使われています。 スペースシャトルの着陸の悪天候時のバックアップなどに利用される場所でもあります。
この実験に使われた原爆1号機は実は広島に投下された「リトルボーイ」 とはまったく型式の異なる原爆でした。
「リトルボーイ」 はウラン235を材料とするのに対して 実験で使われた原爆1号はプルトニウムを材料とするものでした。 このプルトニウムこそがウラニウム238が1個の中性子を原子核に 取り込んだ、フェルミのいう超ウランです。 pu239 は人工的に作り出され た元素でu235と同様に核分裂反応をおこす元素で、これらは総称して 核分裂性元素と呼ばれるものです。 核分裂性元素は核分裂反応の連鎖を持続できる能力を持つ元素です。
材料の違い以外に、核分裂を起こすメカニズムが違っています。 リトルボーイはgun-type assembly method(銃型) トリニティのほうはimplosion assembly method(爆縮型) と呼ばれるものです。 リトルボーイのほうは、原料のウラニウム235を2つの塊に分け、 片側を爆薬の圧力でもう一方のぶつけ、核分裂連鎖を発生させるタイプ 銃のような構造となるもので、当初想定よりもこの銃の長さが短くなり このために「リトル・・・」という名前になりました。 トリニティの方は、球の中心にプルトニウムを置き周りを爆薬でみたし、 周りの爆薬を同時に爆発させプルトニウムを圧縮して核分裂をさせるもの でした。球体が爆弾の真ん中にあり太った部分があるために「ファットマン」 と呼ばれたという説と、暗号名でチャーチルを想起させたという説の2つが あります。
当時ウラニウム235の濃縮にはかなりの時間がかかり、最終的には「リトルボーイ」の 1発分(50kgと言われている)が準備できていただけだった。実際に核分裂を起こしたのは このうちのわずか1kgのu235と考えられています。
一方、原子炉の稼働により生成されるプルトニウム239は比較的生産は容易であった がウラニウム235に比べて、爆圧爆発方式が複雑であったため、実験により確認する 必要があったとの説が有力です。
なんと、広島に落とされた原爆は、ぶっつけ本番で実験などしないで、実施されたもの でした。このgunアッセンブリ方式は一説によれば、ドイツが考えていた方式であると言われています。
広島に続き長崎に落とされた原爆「ファットマン」はまさにトリニティで実験されたプルトニウムを 原料とした「爆縮」タイプの原爆でした。

トリニティ実験: 1945年7月16日 午前5時29分45秒
広島:      1945年8月 6日 午前8時16分    
                 トリニティ実験から21日後
長崎:      1945年8月 9日 午前11時2分    
                 同 24日後

トリニティの実験から実際に使われるまで、わずか21日、24日で実戦使用されたわけです。 これは、トリニティ実験と並行して、原爆がテニアン島に運ばれており、実験結果によって 現地で対応する体制だったという事です。 ちなみに原爆を運んだ「米重巡洋艦インディアナポリス号」は広島、長崎投下原爆の部品を搭載してサンフランシスコを7月16日出港 、26日原爆部品を降ろし、米国に戻る途中7月30日夜グアム、レイテ島の中間地点で伊号58潜水艦 の魚雷により撃沈されています。もしも、は歴史にはつきものですが、帰りでなく、行きであったら歴史はどう 動いていたのかと・・・・・。

こう書いてみると 北朝鮮やイランなどでの原爆がらみの問題が良く見えてきますね。

1 件のコメント:

  1. ご感想を興味深く読みました。この本は平易な表現で、高校生でも理解できる内容ですね。ただ、もう少し短ければと思います。原本翻訳なので無理でしょうが。アインシュタインは、例の公式だけで、直接の参画はしてないようで、以外でした。直後に、原爆を積んだ重巡が沈没した件は知りませんでした。米大統領との連絡不能など、運命の悪戯で多くの命が失われて、本当に残念です。原爆の悲劇は永遠に続くのでしょうか。では、ご免ください。

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