2010年2月28日日曜日

狭山丘陵の春 

稲荷山公園のわんこたち(夕方のおさんぽ・・・)
稲荷山公園の桜の木のつぼみが膨らんでいます。
借景
講習会の会場からみた風景です
右端の山なみが堂平山から武甲山に向う山なみです。
道脇のすてきな門構え
航空自衛隊の入間基地の脇に稲荷山公園があります。
むかしむかしは、この脇を走るの西武線でずいぶん秩父の山に行ったのですが、
このあたりで降りたのは初めてでした。ここにも春がいっぱいです。
地図を見ると、この駅の直前の線路は入間基地の中を横切っています。
基地の中を横切る電車ってここだけでしょうか????
入間基地は米軍管理時代はジョンソン基地と呼ばれていたそうです。
西武線はこの入間基地を挟んで、川越に向かう線路と秩父に向かう線路が
直線距離で2~3kmほどの間隔で入間基地の左右を並行して走っています。
  今回は武蔵野線から西武池袋線に乗り換えての片道1時間20分のお出かけでした。



銀座金春通りにある呉服屋「伊勢由」ウィンド 春

2/17に汐留から銀座を通って帰ったときに撮った写真ですが、
お酒も飲んでいないのに少しピンボケなのでアップしようか迷っていましたが、
ご参考までに!春模様と春の色目の帯 3種です。


蝶々がたくさんです。これは着れる人すくないかな???
この模様はなんでしょうか??


これはピンボケ・・・春めいた色合いです・・


文庫本 「とっておき銀座」(祥伝社) 千谷美恵 
この人、写真の銀座金春通りにある明治元年創業の呉服屋「伊勢由」の娘さんで、有能な外資系バンカーだったとのこと。

2010年2月26日金曜日

春が来た!

昨日は午後から動き回りました。
朝は日光方面で濃霧のため電車が乱れており、
京成電車で別ルート通勤を試みましたが・・・・
京成の特急電車は海外旅行の大きなバックを持った女子大生
らしい女の子たちがいっぱいでした。卒業旅行???
午後の京葉線では、東京に近づくほど、変な天気で
霧が出ていて、天気はよいのですが、霧が帯状に出ていました。
この霧で羽田は何便も影響を受けたようです。
春一番も吹きました!♪
いよいよ春ですね~♪

と言うことで、昨晩は銀座でボトル2本空きました!!

2010年2月23日火曜日

ウンウンビウム Ununbium

発見されて、追試確認待ち(まだ命名できない)の元素名を
見ていて、ラテン語の面白い数詞について蘊蓄を得ました。

今回のコペルニクシウム原子番号112の名無しのころの暫定名
を見ていてちょっと調べてみましたのですが、
ウンウンビウムって名前が今回の原子番号112の新物質の名前でした。
なんか面白い!ですね

111 ウンウンウニウム Un un un ium
112 ウンウンビウム   Un un bi um 
以下
113 ウンウントリウム Un un tri um(Uut)
    これは2004年に理化学研究所が発見したがまだ命名権がない。
114 ウンウンクワジウム Un un quadi um(Uuq)
115 ウンウンペンチウム  Un un pent i um(Uup)
116 ウンウンヘキシウム Ununhexium (Uuh)

このあたりはラテン語の数字の記法なわけですね!

命名権を得るためには、何度かの再現試験が必要なわけですが、
大がかりな加速器を動かしたりするための予算はとても高くて
そう簡単には再現できないところがネックとなって、なかなか確定
しないというのが現実の様です。
また、作れても寿命が短く測定がむづかしいので、ある程度の安定
した同位体により確認する事ができないと確認が大変らしい。

すでに113,114,115,116,118の発見報告がでているようです。

竹内まりや・中島みゆき

よくお邪魔するブログで 竹内まりやの『駅』のお話しがありました。
この曲、昔からこの人の曲としては少し違う感覚で聞いていました。
最初に聞いたのが中森明菜だったからかもしれません・・・
竹内まりやのいつもの軽やかな曲調でなく、しっとりとした感じの
中で、こころの中にしまってある思いを歌っている感じがして、
いつも、何度もリピートいてしまう曲です。

詩は次のようなものです。
『駅』  作詞・作曲 竹内まりや
----------------------------------------------------------
見覚えのある レインコート 黄昏の駅で 胸が震えた
はやい足どり まぎれもなく 昔愛してた あの人なのね
懐かしさの一歩手前で こみあげる 苦い思い出に
言葉がとても見つからないわ あなたがいなくても こうして
元気で暮らしていることを さり気なく 告げたかったのに……

二年の時が 変えたものは 彼のまなざしと 私のこの髪
それぞれに待つ人のもとへ 戻ってゆくのね 気づきもせずに
ひとつ隣の車両に乗り うつむく横顔 見ていたら
思わず 涙 あふれてきそう 今になってあなたの気持ち
初めてわかるの 痛いほど 私だけ 愛してたことも
ラッシュの人波にのまれて 消えてゆく 後ろ 姿 が
やけに哀しく 心に残る 改札口を出る頃には
雨もやみかけた この街に ありふれた夜がやって来る
La La La………
-------------------------------------------------------------

ただ、最初に聞いたときから
・・・今になって あなたの気持ち
  初めてわかるの 痛いほど 
  私だけ 愛してたことも・・・

このフレーズに引っかかっていました。
男からすれば、なぜ?そのとき「私だけ 愛してたこと」
と感じていなかったの?2年たって「初めてわかる」の??
と・・・  これは振られ男の僻みかな???

でも、やはりこのフレーズが持っている多義性について
いろいろな人がいろいろな引っかかりをもっているらしく
今回ぐるぐるしたら
読売新聞の記事にも沢山の人の解釈・分析がされている
のでびっくりしました。5ページもありました。

沢山の竹内まりやファンはこの歌を一番好きな歌に選ぶ
人も多いようです!それもうなづけます。

私の中でこの曲と重なっているのが、中島みゆきの『時はながれて』
です。ちなみに
詩は次のようなものです。

----------------------------------------------------------------
『時は流れて』
1977.06.25
作詞 作曲
中島みゆき


あんたには もう 逢えないと思ったから
あたしはすっかり やけを起こして
いくつもの恋を 渡り歩いた
その度に 心は 惨めになったけれど
あんたの行方を 探したりすれば
もっと惨めに なりそうな気がして


あんたの恋の うわさも いくつか聞いた
その度に 心は 安心していた
あたし一人が 変わってしまって
あんたが何ひとつ変わらずにいたら
時はなんにも 理由のない
淋しい月日に なりそうな気がして


あんたよりずっと いいと思う相手と
恋をし直して きたつもりだった
人がなんと言おうと おかまいなしに
なんとか今日だけ 楽しくなれよと
明日などないと 酒をあおれば
なお褪めて 今日も まだ生きていた
人生は そんなもの


時は流れて 町は変わった
知ってる顔も 少なくなった
小石のように 転がりながら
そうして あたしは あんたを待ちすぎた
たとえ もういちど まぐれ逢えても
顔も 見分けてもらえは しないだろう程に


あんたには もう 逢えないと思ったから
あたしはすっかり やけを起こして
いくつもの恋を 渡り歩いた
その度に 心は 惨めになったけれど
そして あたしは 変わってしまった
泳ごうとして 泳げなかった 流れの中で
今はただ 祈るほかはない
あんたが あたしを みつけやしないように
時は流れて 時は流れて
そして あたしは 変わってしまった
流れの中で 今はただ祈るほかはない
あんたが あたしを
こんなに変わった あたしを
二度と みつけや しないように


時は流れて 時は流れて
そして あたしは変わってしまった 
時は流れて 時は流れて
そして あたしは
あんたに 逢えない
--------------------------------------------

この曲を聴けば聴くほど、文字に書かれた言葉
とは逆のイメージを受けます。
なんと反語に満ちた歌なんだろうと思ってしまいます。

変わってしまった→変わってなんかいない
見つけやしないように→見つけて欲しい
でもそんなに強い思いを残していても→『あたしは あんたに 逢えない』

この歌はLPレコード時代から何度も何度も聴いた記憶があります・・・・・。

フランス土産


フランス旅行のお土産ゲット!


マーブルチョコのような小粒チョコでした。



ついでながら、バレンタインのチョコどすえ~~~

2010年2月22日月曜日

22222222222

  本日は平成22年2月22日です。
   22時22分22秒で 11コ並びの2です!!!!!!!!!!!
   何か良いことあるかな~~~????????????


この投稿もこの時間を狙って!!!投稿さて登録時間は???

2010年2月21日日曜日

元素番号112

新聞に元素番号112の話が出ていました。

このところのこのブログの話題の延長ですので、フォローしますと・・・・。

1996年2月、ドイツ・ダルムシュタットの重イオン研究所
(GSI/Gesellschaft fuer Schwerionenforschung)
亜鉛原子核を重イオン加速器によって加速し、鉛に衝突させて人工的に造られた元素です。
今回正式に命名提案がみとめられ原子番号112、Cn, 112P+173N のコペルニシウムとなりました。

1982年に同じGISで発見された109の元素は1997年にマイトナーにちなんで、
マイトネリューム
と命名されています。これはノーベル賞の代償ということですね。ノーベル賞をもらっても
元素名に名前を残す人はCm(キュリウム)ぐらいですね?
原子番号109はマイトネリウム, Mt, 109,109P+159Nで
ビスマス209に鉄58イオンをぶつけるもので、これによりマイトネリウム266(と中性子)が生成たものです。


2010年2月18日木曜日

オリンパスPENとパナソニックGF1の撮り方手帖 E-P1/E-P2 DMC-GF1対応版の目次

オリンパスPENとパナソニックGF1の撮り方手帖 E-P1/E-P2 DMC-GF1対応版
1 カメラの基礎を理解しよう

・小さくて軽い一眼カメラ、それがマイクロ一眼
・撮影の準備をしよう
・PENの操作を覚えよう
・GF1の操作を覚えよう
・写真についてあの人に聞く【その1】カメラ女子「きょん♪」の簡単ステキ写真術 きょんさん

2 アートフィルター/マイカラーで撮ってみよう

・ダイヤルを回して撮りたいモードを選ぶ
・簡単におしゃれな写真を! アートフィルターとマイカラー
・風景が箱庭になる「ジオラマ」
・色のころびが楽しい「クロスプロセス」
・淡くせつない思いが写真になる「デイドリーム」
・カッコいい作品が撮れる「ラフモノクローム」
・トイカメラで撮ってみたように「トイフォト」
・夢の中にいるような世界「ファンタジックフォーカス」
・シャドーもハイライトも柔らかく描写する「ライトトーン」
・強烈な色彩のインパクト「ポップアート/ポップ」
・重厚感をかもし出す落ち着いた雰囲気「シック」
・夕焼けや逆光を強調して表現する「シルエット」
・色あせた懐かしい写真に「レトロ」
・ぴっかぴかの肌ができ上がる「eポートレート/美肌」(シーンモード)
・写真についてあの人に聞く【その2】Elegance Style  firstsnowsさん

FEATURES マイクロ一眼とのコーディネイト PENとGF1をおしゃれに持ち歩く 

・マイクロ一眼でコーディネートする
  PENとGF1のおすすめスタイリング
・マイクロ一眼に似合うストラップを探そう
  最新ストラップ・ミニカタログ
・自作ストラップでカメラをコーディネート
  自分流ストラップの作り方 ほか

3 思いどおりに撮りたい!

・縦に横に、またアングルを変えて
・画面のバランスを考える
・光を味方にして撮る
・イメージ通りの写真を撮る秘訣は「露出」のコントロール
・露出補正でイメージどおりに
・シャッターチャンスを逃さないプログラムAE
・絞り優先AEでボケ味を生かして撮る
・シャッター優先AEで時間を表現する
・露出を変えたくない時はマニュアル露出で
・ムービーを録れるのも楽しみのひとつ
・写真の縦横比を変えてみよう
・ISO感度は上げすぎないように
・オートフォーカスは奥が深い
・光の色を正しく表現するホワイトバランス
・絵づくりをコントロールするカラーモード
・モノクロ写真を楽しもう
・写真についてあの人に聞く【その3】オリンパスイメージング アートフィルターはなぜ生まれたか? 

4 PENとGF1の世界を広げよう

・レンズによって写る範囲が変わる
・レンズの種類とそれぞれの特徴
  単焦点レンズ/広角レンズ/望遠レンズ/高倍率ズームレンズ/マクロレンズ
・アダプターでフォーサーズ規格のレンズも使える
・電子ビューファインダー(EVF)でより被写体をとらえやすく
・フラッシュがあれば暗くても大丈夫
・料理や雑貨の撮影は三脚を使うと快適に撮影できる
・おしゃれなぶれもある! 手ぶれと被写体ぶれ

自分好みのシーンを撮る

・自宅で料理を撮る
・カフェでケーキを撮る
・お店の料理を撮る
・イルミネーションを撮る
・きれいな花を撮る
・かわいい子どもを撮る
・ペットをかわいく撮る
・シャッターチャンスをのがさずスナップを撮る
・かわいい雑貨を撮る
・不思議な多重露出で撮る

APPENDIX
・マイクロ一眼Q&A
・写真で広がるコミュニティの輪

2010年2月17日水曜日

米沢富美子著「人物で語る物理入門」読了

上巻を読まずに下巻のみ読みました。
Einstein,Bohr, Hubble, Meitner, Curie, Oppenheimer, 湯川・朝永, Bardeen, Gell-Mann
が取り上げられ、20世紀の相対論、量子力学から核物理、素粒子論、固体物性などの様々な分野の流れを概説してくれます。
この手の本は、講談社のブルーバックスが出始めた頃によく読んでいましたが、久しぶりに読むと、昔と違った理解ができ、面白く読めました。これに続いて、ブルーバックスの「物理学天才列伝」下巻という新刊が図書館の棚にあったので、読み始めています(こちらも上巻はなく下巻から)。こっちの本は、
Planck, Pauli, Heisenberg, Schlesinger, de Broglie, Rutherford, Fermi, Dirac, Feynman, Chandrasekhar, Hawking
などが書かれています。
この本には、第二次大戦前にはアメリカにも、ユダヤ人を特別に扱うことがあったことが書かれていて、Feynmanはこのためにコロンビア大学への入学を拒否されたり、プリンストンの大学院への入学の際にも、入学委員会での抵抗にあったことが書かれています。Meitnerのノーベル賞の件といい、日本人にはない感覚が欧米人にあるということがよく分かります。
米沢さんの本はこれに加えて、女性という別ファクターに対する抵抗があちこちで書かれていました。やはり米沢さんご自身がこれまでに、多くの抵抗を経験しているのだな~と感じられる文章でした。

2010年2月15日月曜日

北海道おみやげGET


北大にリクルータで出かけた女の子(帯広出身)が田舎に帰ったそうで、帯広の北菓楼のバウムクーヘンで~す。なんと、雪祭りの最終日で、しっかり見てきたのだそうです。そういえば去年も行ってたな~

2010年2月9日火曜日

石洞美術館


2006年に出来た個人蒐集家の集めた美術品を中心とした美術館です。
場所は北千住ではなく、京成線の千住新橋駅が近いです。歩いて3分です。


この美術館はこんな形をしてますので、直ぐに分かるはずです。



入口はこんな感じ??







私は毎日、日比谷線の通勤電車の隅田川にかかる鉄橋の上から見ています。
前から気にはしていたのですが、あまりに近くて・・・まだ行ってませんでした。

他のブログの評判
絶対に混んでいることはなくゆっくりと見られると思います。

それから、ここに行くなら 千住大橋駅(駅ですよ)の反対側に、最近評判のお蕎麦屋さん
千寿竹やぶ (せんじゅたけやぶ) は如何でしょうか?ここは何年か前まで柏の竹やぶで修行して来た親類がやっているのだそうです。

小さいころはこのあたりまで足を伸ばして、よくヤッチャ場といわれた千住市場に遊びにいっていたのですが・・・・。

そうそう、橋のたもとに公園があり、奥の細道、矢立初めの地と書いてあります。ここが芭蕉庵から舟で着いた芭蕉が、奥の細道の最初に「『行春や鳥啼魚の目は泪』是を矢立の初として、行道なをすゝまず。」と書いたところです。

また、千住新橋を渡ると、100mくらい先には素盞雄(スサノオ)神社があります。

2010年2月6日土曜日

リーゼ・マイトナーは意外と長生き

20世紀前半の放射線関連の業績でノーベル賞の受賞者の
多くはまだ放射線の害にたいする正しい知識を持たなかった
ことから、多くは、研究成果と引き換えに放射線の害を受けて
ていた。

エンリコ・フェルミ 53歳 がん
マリー・キュリー  66歳 白血病
イレーヌ・キュリー 58歳 白血病

ドイツのオットー・ハーンとリーゼ・マイトナーは90歳
近い高齢まで生きていた。これは、測定精度を意識して、
微量な物質の混入を避けるように、常に付着物などのクリーニング
を徹底していたことが幸いしたと言われています。

放射線の被曝は意外と日常茶飯事というと語弊がありますが、
結晶のエックス線解析などをやっていた友人などは、かなり
慎重にやっていたようですが、それでも、小さな被爆事故は
あったようです。

引き続き読み始めたのは、
米沢富美子著の岩波新書 「人物で語る物理入門」下巻
です。新書なので電車の中で読みやすそうです。

それ以外の積読本は

1 行動をデザインする 早稲田渡辺仁史研究室編
2 光琳カルタで読む百人一首
3 電波とラジオの基礎技術
4 オートポイエーシス論入門
5 樹木図によるパーソナリティの理解
6 解決志向の言語学
7 やさしく学べる心理療法の基礎
8 心理療法におけることばの使い方
9 カウンセリングと精神療法

「ウラニウム戦争」 読了


この本の副題は「核開発を競った科学者たち 」というもので、ウラニウムの発見から 核分裂の発見、核分裂連鎖反応の確認、米独の核爆弾開発へのさまざまな科学者の 関与を、最近公開された秘密文書も含めたエビデンスを使って、論証している本です。
特に前半部はキュリー()、リーゼ・マイトナーという三人の女性科学者を中 心にマイトナーによる核分裂の発見までを書いています。 後半は、この核分裂の発見から、原爆の開発・使用に関する物語を秘密文書を軸に 書き込んでいます。
この核分裂という物理現象は学校で習っていたときには、ふ~んと聞いていましたが、あらためて、その発見の流れを追うとなかなか面白かったです。簡単に説明しておきましょう。
この核分裂という現象を最初に観察したのは、キュリー(娘の方)でした。 それは、1934年エンリコ・フェルミがウラニウム原子に中性子を衝突させることで、中性子が ウラニウムの原子核に吸収されU239という超ウラニウム元素を生成するとした論文 の追試中の出来事でした。 キュリーが追試した結果、ウランに中性子を照射した時の半減期 3.5Hの放射能元素は ウランより軽いランタンであり、フェルミの予想に反するものでした。 しかし、キュリーは原子物理学者とはいえ、理論的な面ではなく実験面の人であったため、 この事実(ウランの核分裂によりランタンが生成される、本当はその19分前に生成されたバリウム141(141Ba)→(β-崩壊・半減期 18.27分 )→141La ランタンですが)に気付くことはなかった。 当時はラザフォードの原子核モデルのように強固な原子核モデルが想定されており、 原子核が分裂するには大きなエネルギーが必要であると考えられていたので、 分裂という現象自体を想定できなかったという背景もあったようです。
逆に、フェルミの論文を信じ、キュリーの結果の間違えを確認しようとした、ドイツの 物理化学者オットー・ハーンと理論物理学者のリーゼ・マイトナーのドイツの研究者が この現象をボーアの原子核の液滴モデルを適用して理論的に核分裂のプロセスを示した。 正確に言えばハーンは実験結果(生成物としてバリュームを確認)を示し、その解釈をマイトナーが行ったということで共同研究の結果だったわけですが、ハーンはこの業績でノーベル賞を受賞したのですが、ユダヤ人で亡命中だったマイトナーにノーベル賞は授与されませんでした。

ハーン、シュトラスマン、マイトナー、フリッシュによる核分裂現象の発見 (16-03-03-11)

この原子核分裂プロセスでは一方が重く(質量数140程度)、一方は軽い(95程度)核になる。 この重いほうがキュリーの確認したランタンでした。 さらにこの時、2個程度の中性子が生成される。この中性子が次々と別のウラニウムの 原子核分裂を連鎖的に発生させる事が予想され、この核分裂の連鎖反応を制御するのが 原子炉であり、無制御で高速に反応させるものが原爆となるわけです。
ただし、このような核分裂は安定的なウラン238では起こりにくく、ウラン235 という不安定なウランでのみ可能であり、ウラン235は天然のウランの0.7% 程度しか存在しない。原爆の原料とするためには、90%以上までウラン235の 濃度をあげる必要があり、この濃縮ということにより原爆の原料U235を製造していた 工場がオークリッジでした。 広島に落とされた原爆はこのオークリッジ工場が精製したウラン235を原料にした 原爆「リトルボーイ」でした。
さて、広島型原爆「リトルボーイ」ですが、これに先立つ約1カ月前に (1945年7月16日午前5時29分45秒) ニューメキシコの砂漠トリニティ実験場(北緯33.675度、西経106.475度)で 最初の原子爆弾の爆発実験が行われました。 ちなみに、このあたりは、現在はホワイトサンズ(空軍・陸軍)基地などの 軍の施設があり、ミサイル実験やロケットの打ち上げなどに使われています。 スペースシャトルの着陸の悪天候時のバックアップなどに利用される場所でもあります。
この実験に使われた原爆1号機は実は広島に投下された「リトルボーイ」 とはまったく型式の異なる原爆でした。
「リトルボーイ」 はウラン235を材料とするのに対して 実験で使われた原爆1号はプルトニウムを材料とするものでした。 このプルトニウムこそがウラニウム238が1個の中性子を原子核に 取り込んだ、フェルミのいう超ウランです。 pu239 は人工的に作り出され た元素でu235と同様に核分裂反応をおこす元素で、これらは総称して 核分裂性元素と呼ばれるものです。 核分裂性元素は核分裂反応の連鎖を持続できる能力を持つ元素です。
材料の違い以外に、核分裂を起こすメカニズムが違っています。 リトルボーイはgun-type assembly method(銃型) トリニティのほうはimplosion assembly method(爆縮型) と呼ばれるものです。 リトルボーイのほうは、原料のウラニウム235を2つの塊に分け、 片側を爆薬の圧力でもう一方のぶつけ、核分裂連鎖を発生させるタイプ 銃のような構造となるもので、当初想定よりもこの銃の長さが短くなり このために「リトル・・・」という名前になりました。 トリニティの方は、球の中心にプルトニウムを置き周りを爆薬でみたし、 周りの爆薬を同時に爆発させプルトニウムを圧縮して核分裂をさせるもの でした。球体が爆弾の真ん中にあり太った部分があるために「ファットマン」 と呼ばれたという説と、暗号名でチャーチルを想起させたという説の2つが あります。
当時ウラニウム235の濃縮にはかなりの時間がかかり、最終的には「リトルボーイ」の 1発分(50kgと言われている)が準備できていただけだった。実際に核分裂を起こしたのは このうちのわずか1kgのu235と考えられています。
一方、原子炉の稼働により生成されるプルトニウム239は比較的生産は容易であった がウラニウム235に比べて、爆圧爆発方式が複雑であったため、実験により確認する 必要があったとの説が有力です。
なんと、広島に落とされた原爆は、ぶっつけ本番で実験などしないで、実施されたもの でした。このgunアッセンブリ方式は一説によれば、ドイツが考えていた方式であると言われています。
広島に続き長崎に落とされた原爆「ファットマン」はまさにトリニティで実験されたプルトニウムを 原料とした「爆縮」タイプの原爆でした。

トリニティ実験: 1945年7月16日 午前5時29分45秒
広島:      1945年8月 6日 午前8時16分    
                 トリニティ実験から21日後
長崎:      1945年8月 9日 午前11時2分    
                 同 24日後

トリニティの実験から実際に使われるまで、わずか21日、24日で実戦使用されたわけです。 これは、トリニティ実験と並行して、原爆がテニアン島に運ばれており、実験結果によって 現地で対応する体制だったという事です。 ちなみに原爆を運んだ「米重巡洋艦インディアナポリス号」は広島、長崎投下原爆の部品を搭載してサンフランシスコを7月16日出港 、26日原爆部品を降ろし、米国に戻る途中7月30日夜グアム、レイテ島の中間地点で伊号58潜水艦 の魚雷により撃沈されています。もしも、は歴史にはつきものですが、帰りでなく、行きであったら歴史はどう 動いていたのかと・・・・・。

こう書いてみると 北朝鮮やイランなどでの原爆がらみの問題が良く見えてきますね。

2010年2月4日木曜日

2/3朝の風景

2月2日の夜にこの冬初めての雪が降りました。
翌朝の通勤風景です。
ホワイトバランスのとり方を間違えて、少し青み掛かってしまいました。
昨日の3日の夜も降ったのですが、翌朝積もってはいませんでした。