2009年6月27日土曜日

写真いろいろ

銀座資生堂パーラの外の七夕飾りです。銀座通りの銀行を含めてすべてのお店の店頭にあります。


↓別の樹の「やまもも」です。一つ食べたらとっても甘かった!



↓これなんだろう?食べられるかな~? 


銀座 「もとじ」のギャラリーの飾り窓の中です。 白とグリーンの繭玉です。


2009年6月19日金曜日

ヤマモモの実


結構何本も植わっています。
そろそろ収穫期が近いので、一回り回ってみたところ、いつも沢山実のついている樹に、下の写真の実がついているだけでした。
もう少しかかりそうです。

2009年6月16日火曜日

気になる映画(その2)

気になっている映画の2番目は「愛を読むひと」です。
v.ウルフの「ダロウェイ夫人」をキーに3人の女性の人生の一瞬を「死」を絡ませながら描いた「めぐりあう時間たち」の監督&脚本家コンビが二コール・キッドマンに続いてケイト・ウィンスレットに第81回アカデミー賞主演女優賞をもたらした映画です。
記事によれば、当初ケイトのスケジュールが合わず、二コール・キッドマンで2007年8月から撮影開始。ところが2008年1月にニコールが妊娠により降板し、当初のケイトの配役が実現したという複雑ないきさつがあったようです。
監督はスティーヴン・ダルトリー、あの「リトル・ダンサー」覚えてますか?「めぐりあう時間たち」でもそうでしたが、この監督、なにげなく、同性愛やバイセクシャルの人達を登場させます。「めぐりあう時間たち」では、まるで推理小説のように映画のプロットが複雑に絡みあい、小説の世界や現実の世界が絡みあい、「死」という主導動機があちこちに顔を出す、かなり衝撃的な映画でした。
さて、今回は?
・・・年上の女性・・・pierreの理想でしたが・・・!???

2009年6月15日月曜日

剱岳




このところ映画を見に行っていないな!と思っているところにいくつかの映画が目に留まりました。
先ずは「劔岳 点の記」山の映画は見ることにしているので第1番です。
東京の山やさんにとっては剱岳は遠い山です。
pierreの場合は、大町トンネルを抜け、黒四のダムサイトを黒部川まで降り丸山の東壁のところまで黒部川の下の廊下を下って、内蔵助平の出会いからハシゴ谷乗越を越え剱沢から長次郎の長い急峻な雪渓を頂上直下まで一気に上り、後は一般ルートで降りてきたことが一度あるのみでしたが、とてもスケールの大きな山という印象が剱岳にはありました。
映画の当時のルートは富山側の馬場島からの早月尾根ルートであったはずですので丁度反対側から上ったわけですね。
長次郎雪渓は「劔岳 点の記」に登場する山案内人宇治長次郎に由来する名前でした。物語はともかく、山の風景を楽しみにしている映画です。

2009年6月14日日曜日

午後2時24分

昨夜は講習会の若い人達との第2回の懇親会があり、一昨日の横浜・銀座のみ歩きに続き、また銀座松屋裏の場外馬券売り場そばの「えん」という和食系飲み屋さんで飲みましたので、またまた朝4時の喉の渇きで早起きでした。

あ、写真機わすれたので写真は今回なしです。

4500円で飲み放題つきというのは、お安いのでしょうね。

最近はだいたいアルコールが高くつくパターンばかりですので・・・。

ところで、昨日はパーソナリティ理論の講義だったのですが、パーソナリティの発達段階として

『40歳から始まる人生の午後』という言葉が出てきて、ありゃ?そうすると私ゃ『人生の午後2時24分』くらいかい!という具合です。



最近自分の金銭感覚というものは、どうなんだろうと考えます。

諸般の事情により減額されているとはいえ、毎月のお小遣いは世の中平均程度だと思いますが、そのほとんどは飲み代となっております。ゴルフ等々しない代わりに飲み歩いているという点で収支はなんとか(ほんとは赤字で補填口座からの資金移動がたまにあるのですが・・・)。

前述の「人生の午後」説では、午後6時を80歳と考えれば、あと3時間36分しかありません(80歳までは持たないでしょうから、実際はもっと少ない・・・)と考えると、どんどん遊ぼうかな・・・などと思ってしまいます。この感覚で若い人を誘うと、きっと迷惑がられるでしょうね。

若い人はおじさんよりしっかりとした金銭感覚をもっていて、今月の遊びの予算はこれだけと決めて生活しているように思えます。自分の若い時代の金銭感覚が思い出せないのは「人生の午後」だからかな??

2009年6月13日土曜日

街路樹の枇杷の木(横浜新杉田)











いつもは何の気なしに歩いている道の街路樹が枇杷の木でした。ここは京浜東北線の新杉田の駅から道沿いに南に500mぐらい歩いたところですが、さすがに街路樹で枇杷の木というのは初めて見ました。よく家の庭に植わっているのは見るのですが。今が枇杷の収穫時のようです!

2009年6月11日木曜日

複雑系2

「複雑系というと物理学だけの考え方かと思っていたのですが,人文科学系でも使うのですね!? エントロピ−と同じでしょうか.」というご質問がありましたので、第2弾です。



エントロピーは乱雑さ・無秩序さの指標というのは正しい???か


 熱力学的には温度の高いものと温度の低いものが接触して、温度が平均化(ぬるくなる)した時に、その過程の前後で増加するような状態量としてエントロピーを定義しています。数式で書けば ∫δQ/Tがエントロピーの定義です。ここにδQ は熱量の変化、T は絶対温度。 ですから上述の二つの物体の熱の移動を式で書くと、高い方の温度をTH 、低い方をTLとするとき、
∫δQ/TL-∫δQ/TH > 0
これがこの過程の前後のエントロピーの変化です。

第一項と第二項でδQが同じで、TH > TL なので必ず正です。

つまりエントロピーは増加しているということですね。

(数学的に厳密に言えば、元の温度Tも変化するのですが、

δが十分に小さいとして考える必要がありますが・・・。)


ということで、オリジナルの熱力学的エントロピーは乱雑さ・無秩序という概念直接ではないですね。それより「平均化する」「均一化する」「だんだんばらばらに散らばってゆく」(ここがすこし乱雑さ・無秩序につながりそうですが)とでも言えばよいのでしょうか。しかし、その本質を日常用語で簡潔に表現するのは難しい。これを的確に表現できるのが、「エントロピー」という物理学で導入された指標と考えればよさそうです。

エントロピーにはシャノンの定義した情報理論のエントロピーというやつがあります。 こちらはある事象(信号と呼ぶほうがよいか?)の生起確率Pとした時、その事象の情報量を-logP(この場合の基底は2、つまりこの値はビットになります)と定義して、情報量の期待値 -∑PlogPを情報論のエントロピーと定義しています。この定義だと、どの事象の生起確率も同じ場合に最大エントロピーとなるので、どの事象が発生するか確率的に同じである→つまりどれが起こるかわからない。つまり、無秩序である。という解釈ができますね!


実はシャノンの上記状態量が定義された時はまだ、「エントロピー」という名称はついていなかったが、友人のフォン・ノイマンが「(熱)統計力学のエントロピーに似ていることを指摘し「(熱)統計エントロピーが何なのかを理解してる人は少ないから議論になったときに君が有利であろう」と語ったことを受けて、シャノンはエントロピーと名付けた」とか・・・


ちなみに、統計力学はやっていないので上の2つほどに直観的に理解できませんが、インターネット上の情報によれば「ボルツマンの統計力学では、巨視的状態のもとで、とりえる微視的な状態の数をWとすると、系のエントロピーSは、S=klogWで定義される。kをボルツマン定数という。つまりエントロピーは微視的にとれる状態の関数としてしめされる。」だそうです。直観的にわからないのはWです。ボルツマン定数は温度とエネルギーの変換定数ですよね。ウィーンにあるボルツマンの墓碑にはこの式がかかれているそうな!
とここまでで、エントロピーについては終わりです。複雑系にかんして「エントロピーと同じ?」は「そうじゃないみたい」というのが現状の回答です。

エントロピーが最初に言ったような、コンテキストで使われるのと同じような使われ方で「同じ」

という問いかけなら「yes」ですね。


でも、複雑系の中でのエントロピーの議論はきっとあるでしょうね。



複雑系ですね・・・。

構成要素の複数/単一振る舞いの不確定/確定
は別もので、4つの組み合わせがありますね。

複数・確定、単一・確定(複雑系でない)

複数・不確定、単一・不確定(複雑系と呼ぶ範囲)

複雑系の最大の特徴は、「予測不可能(系の振る舞いが不確定)」というところですよね。


ではなぜか?

 それは対象が非線形だから

 それは対象が複数の要素の相互作用を伴うから

 それは対象が決定論的な規則に従っているにも関わらず予測不可能な不規則なふるまい

  (ランダムではない)等々

 あるインターネット上の説明(著者は人工生命の研究者のようです)を引用します。「物理学史上最も重要な発見の1つである気体の分子運動論は「部分を足していけば全体を表すことができる」という実に簡潔で普遍的な経験則を我々に与えることになりました。



 しかし、ある系が複雑系であるということは、「全体的な現象を観察・分析することにより部分的な現象に分け、それぞれの部分現象を微視的な物理的相互作用によってモデリングを行う」という従来の方法によって理解することが困難であることを意味しています。複雑系という研究分野は通常の研究分野とは少し違う面があります。複雑系とは、上記にように、非常に簡便に言えば、「微視的相互作用から明確に帰結できないような巨視的現象」を見せる系です。

 よって複雑系とは単に抽象的なものを指しているだけで、「私は複雑系の研究をしています。」と誰かにいわれても、「私は微分方程式の応用を研究しています。」と言われるのと同じように、何をやっているのか皆目見当がつきません。

 実際には、ほとんどの研究者は複雑系に属するなんらかのインスタンスを研究しているわけです。以下にその例を少しだけあげました。無論、この他にもいろいろな研究対象があると思います。

政治経済システム

交通流

気象、

海洋

生態系

生命現象

人工知能

化学反応

ゲーム理論 」・・・・


どうですか?理解可能ですか?複雑系の火付け役となったサンタフェ研究所について書かれたCOMPLEXITY - The Emerging Science at the Edge of Order and Chaosの翻訳本が新潮文庫にありましたね