昨日(これを書いているのはすでに月曜2時ですが)
は寒い中を図書館に本の借り換えに出かけました。
先週の温かさから一気に冬に逆戻りの寒い北風がぴゅ-ぴゅ-
雨も小降りで、傘をさそうか、どうしようか・・・・と迷う状態でした。
お昼を挟んでだったので、図書館と駅の中間のイタリアンに入り
ランチ980円+100円で赤ワインつき
スープかサラダの選択は、寒いのでスープ(ミネストローネ)
ホッカッチャ
春キャベツとベーコンの塩味パスタ
レモンシャーベットとケーキ(チッチャイ~~)
時間が1時30分を過ぎていたので、いつも混んでいるのに
入れました。
個室に子供連れの家族はいましたが、
テーブル席の男性は私一人、
他の席は全部女性ばかりという状況でした!!
本日の貸し出し本は、
・フォン・ノイマンの生涯(継続)
・エクササイズと事例で学ぶ:実践セルフアサーショントレーニング
・図解による学習理論と認知行動療法
以下は新刊本コーナから物色
・日本語要説
・孤独の科学
・天気図の読み方がよ~くわかる本
・さくら百科
・テレビ作家たちの50年
・茶室手づくりハンドブック
2010年3月7日日曜日
西武新宿線 上井草 中落合
TVっ子です。
東京12chで土曜日にやっている 『出没!アド街ック天国』が情報源です。
この番組は東京のあちゃこちゃの町のベスト30を紹介する番組で、
意外と面白い情報満載です。それと、この番組の大江アナのファンです。
ちょっと面白キャラの女子アナですヨ。
今回は上井草でした。ここは降りたことはありませんが、アニメ・プロダクションの町との紹介でした。駅前にガンダムの像があるそうです。残念ながらガンダム世代ではなく、『宇宙戦艦ヤマト』までです。
以前の放送で記憶に残っている西武新宿線沿線では、「中落合」が意外でした。
中落合が染物の町である事を知っている人どれくらいいるでしょう??
江戸時代に神田川のもっと下流の神田や浅草などの下町にあった染色やさんがその後、関東大震災を境に、大正も末期に近づくころから、いっせいに水のきれいな神田川沿い、あるいは妙正寺川沿いへと移転してきたのだそうです。いまだに大小さまざまな染物関連のギャラリー(たとえば江戸小紋・・・)などがあるようです。一度見て回りたいなと思っています。
「染のまち・落合」
江戸「染物の里」としての落合地域。 [気になる神田川]
東京12chで土曜日にやっている 『出没!アド街ック天国』が情報源です。
この番組は東京のあちゃこちゃの町のベスト30を紹介する番組で、
意外と面白い情報満載です。それと、この番組の大江アナのファンです。
ちょっと面白キャラの女子アナですヨ。
今回は上井草でした。ここは降りたことはありませんが、アニメ・プロダクションの町との紹介でした。駅前にガンダムの像があるそうです。残念ながらガンダム世代ではなく、『宇宙戦艦ヤマト』までです。
以前の放送で記憶に残っている西武新宿線沿線では、「中落合」が意外でした。
中落合が染物の町である事を知っている人どれくらいいるでしょう??
江戸時代に神田川のもっと下流の神田や浅草などの下町にあった染色やさんがその後、関東大震災を境に、大正も末期に近づくころから、いっせいに水のきれいな神田川沿い、あるいは妙正寺川沿いへと移転してきたのだそうです。いまだに大小さまざまな染物関連のギャラリー(たとえば江戸小紋・・・)などがあるようです。一度見て回りたいなと思っています。
「染のまち・落合」
江戸「染物の里」としての落合地域。 [気になる神田川]
2010年3月6日土曜日
落語&みかん
はて?何のことでしょうか?
寿限無っていう落語はご存知ですよね。
寿限無、寿限無
五劫の擦り切れ
海砂利水魚の
水行末 雲来末 風来末
食う寝る処に住む処
やぶら小路の藪柑子
パイポパイポ パイポのシューリンガン
シューリンガンのグーリンダイ
グーリンダイのポンポコピーのポンポコナーの
長久命の長助
すこし違う言い回しもあるようですが・・・・
さて、その意味は
「寿限無」は、死ぬ時がないということ
「五劫のすりきれ」は、一劫とは、三千年に一度、天女が天下って、
下界の巌を衣でなでるのだが、その巌をなでつくして
すりきれてなくなってしまうのを一劫という。
その期間はおよそ40億年。
それが5回擦り切れる、つまり永久に近いほど長い時間のこと。
別の落語では、天女が三千年に一回、須弥山に下りてきて羽衣
で一振りして、須弥山がなくなるまでが一劫である。
「海砂利水魚」は、海の砂利も、水にすむ魚も取り尽すことが出来ない
「水行末、雲来末、風来末」は、水、雲、風の行く末いずれも果てしがない
「食う寝るところに住むところ」は、人間、衣食住のうち、1つが欠けても生きてはいけない
「やぶらこうじのぶらこうじ」は、藪柑子(やぶこうじ)という木があって、まことに丈夫・・・
「パイポパイポ~」は、昔、唐土のパイポ国のシューリンガン王とグーリンダイ后
の間に生まれたポンポコピーとポンポコナーという二人のお姫様
が大変長生きをした
「長久命の長助」は、天長地久という文字で読んでも書いてもめでたい
で、それをとって長久命。長く助けるという意味で長助
という、有り難いお経のような名前のお話しですが・・・
さてミカンは何処???
種明かしをすると、「柑子」がそれ!
藪柑子はちょっと感じが違います。別名「十両」 確かに「万両」に似てます。

柑橘の柑のほうです。
柑橘類は中国から伝来したとされています。
静岡県のホームページによれば
奈良時代から平安時代初期に・・・柑子(こうじ)、ゆず(香酸柑橘)、
鎌倉時代から室町時代に・・・橙、九年母

となっています。
吉田兼好の時代
徒然草の一節に「・・・ かなたの庭に、大きなる柑子の木の枝もたわわになりたるが、まはりをきびしく囲ひたりしこそ、少しことさめて、この木なからましかばと覚えしか」とあるそうで,
1313年10月頃の話で、柑子の木が枝もたわわに実っているが、周りを厳しく囲っているので興ざめしたとのTwitterがのこされているようです。
柑橘の橘
であると言われています。
この橘は例の「右近橘、左近桜」の橘です。
ついでに、昔の文化勲章は桜だったそうですが、
昭和になって常緑の橘になったとか
もう一つ、無駄知識・・・九年母って珍しいですよね。
調べてみると、この名前のビストロが小樽にありました。
http://r.tabelog.com/hokkaido/A0106/A010601/1007805/
江戸時代には紀州の紀伊国屋のお話もあるくらいで、紀州のミカンは
すでに食用の柑橘としての代表格になっていた訳ですね。
柑橘は日本の伝統色にも名前を残しています
web色見本 原色大辞典 和色大辞典 465色などを見ると
柑子色 こうじいろ
http://www.colordic.org/colorsample/2203.html
橙色 だいだいいろ
http://www.colordic.org/colorsample/2241.html
橘色 たちばないろ
http://www.japan-post.com/color/53/03.php
今の柑橘類は
社団法人 農林水産技術情報協会のHPに写真入りで紹介されてます。
でも、ここで? 「デコポン」って無い!!
写真を見ると、「不知火しらぬい」ってのが良く似ています・・・
と、疑問を持って調べてみると
当り!!!
「デコポン」は最初長崎で栽培したけど、失敗作としてやめ、
その後、熊本の不知火町(現宇城市不知火町)が受け継いで味がいいので、
生産を本格的に始めたのであって、その名は「不知火しらぬい」と言うのが正しい!
「デコポン」という名称は、熊本県果実連が商標登録していて、規格があり、
それ以外は使用できないそうで、愛媛のデコポン、広島のデコポン、和歌山のデコポン、長崎のデコポンなどはありえないとか!
でも、さらに調べると、一安心!
たしかに、当初は熊本県産の「不知火」以外には「デコポン」の名称を付ける事が禁止されており、産地毎に別の名前が付けられ市場や消費者の混乱を招く結果となったため、熊本果実連と日本園芸農業協同組合連合会(日園連)との間で商標権使用許諾契約が締結されたそうです。この後は、
日園連傘下の農協が出荷する「不知火」のうち糖度13度以上、クエン酸1.0%以下の基準をクリアしたものには産地にかかわらず「デコポン」の名称を使用して良い事になり「デコポン」の名称が全国統一ブランドとして幅広く普及したようです(以上wikiの記述から)。
寿限無っていう落語はご存知ですよね。
寿限無、寿限無
五劫の擦り切れ
海砂利水魚の
水行末 雲来末 風来末
食う寝る処に住む処
やぶら小路の藪柑子
パイポパイポ パイポのシューリンガン
シューリンガンのグーリンダイ
グーリンダイのポンポコピーのポンポコナーの
長久命の長助
すこし違う言い回しもあるようですが・・・・
さて、その意味は
「寿限無」は、死ぬ時がないということ
「五劫のすりきれ」は、一劫とは、三千年に一度、天女が天下って、
下界の巌を衣でなでるのだが、その巌をなでつくして
すりきれてなくなってしまうのを一劫という。
その期間はおよそ40億年。
それが5回擦り切れる、つまり永久に近いほど長い時間のこと。
別の落語では、天女が三千年に一回、須弥山に下りてきて羽衣
で一振りして、須弥山がなくなるまでが一劫である。
「海砂利水魚」は、海の砂利も、水にすむ魚も取り尽すことが出来ない
「水行末、雲来末、風来末」は、水、雲、風の行く末いずれも果てしがない
「食う寝るところに住むところ」は、人間、衣食住のうち、1つが欠けても生きてはいけない
「やぶらこうじのぶらこうじ」は、藪柑子(やぶこうじ)という木があって、まことに丈夫・・・
「パイポパイポ~」は、昔、唐土のパイポ国のシューリンガン王とグーリンダイ后
の間に生まれたポンポコピーとポンポコナーという二人のお姫様
が大変長生きをした
「長久命の長助」は、天長地久という文字で読んでも書いてもめでたい
で、それをとって長久命。長く助けるという意味で長助
という、有り難いお経のような名前のお話しですが・・・
さてミカンは何処???
種明かしをすると、「柑子」がそれ!


柑橘の柑のほうです。
柑橘類は中国から伝来したとされています。
静岡県のホームページによれば
奈良時代から平安時代初期に・・・柑子(こうじ)、ゆず(香酸柑橘)、
鎌倉時代から室町時代に・・・橙、九年母

となっています。
吉田兼好の時代
徒然草の一節に「・・・ かなたの庭に、大きなる柑子の木の枝もたわわになりたるが、まはりをきびしく囲ひたりしこそ、少しことさめて、この木なからましかばと覚えしか」とあるそうで,
1313年10月頃の話で、柑子の木が枝もたわわに実っているが、周りを厳しく囲っているので興ざめしたとのTwitterがのこされているようです。
柑橘の橘
であると言われています。
この橘は例の「右近橘、左近桜」の橘です。
ついでに、昔の文化勲章は桜だったそうですが、
昭和になって常緑の橘になったとか
もう一つ、無駄知識・・・九年母って珍しいですよね。
調べてみると、この名前のビストロが小樽にありました。
http://r.tabelog.com/hokkaido/A0106/A010601/1007805/
江戸時代には紀州の紀伊国屋のお話もあるくらいで、紀州のミカンは
すでに食用の柑橘としての代表格になっていた訳ですね。
柑橘は日本の伝統色にも名前を残しています
web色見本 原色大辞典 和色大辞典 465色などを見ると
柑子色 こうじいろ
http://www.colordic.org/colorsample/2203.html
橙色 だいだいいろ
http://www.colordic.org/colorsample/2241.html
橘色 たちばないろ
http://www.japan-post.com/color/53/03.php
今の柑橘類は
社団法人 農林水産技術情報協会のHPに写真入りで紹介されてます。
でも、ここで? 「デコポン」って無い!!
写真を見ると、「不知火しらぬい」ってのが良く似ています・・・
と、疑問を持って調べてみると
当り!!!
「デコポン」は最初長崎で栽培したけど、失敗作としてやめ、
その後、熊本の不知火町(現宇城市不知火町)が受け継いで味がいいので、
生産を本格的に始めたのであって、その名は「不知火しらぬい」と言うのが正しい!
「デコポン」という名称は、熊本県果実連が商標登録していて、規格があり、
それ以外は使用できないそうで、愛媛のデコポン、広島のデコポン、和歌山のデコポン、長崎のデコポンなどはありえないとか!
でも、さらに調べると、一安心!
たしかに、当初は熊本県産の「不知火」以外には「デコポン」の名称を付ける事が禁止されており、産地毎に別の名前が付けられ市場や消費者の混乱を招く結果となったため、熊本果実連と日本園芸農業協同組合連合会(日園連)との間で商標権使用許諾契約が締結されたそうです。この後は、
日園連傘下の農協が出荷する「不知火」のうち糖度13度以上、クエン酸1.0%以下の基準をクリアしたものには産地にかかわらず「デコポン」の名称を使用して良い事になり「デコポン」の名称が全国統一ブランドとして幅広く普及したようです(以上wikiの記述から)。
2010年3月3日水曜日
ドイツ ダルムシュタット
訪問年度は最初ではないのですが、このところ書いている
原子物理に関係の深いところから始めてみます。
ここは、
コペルニシウム(112)とマイトネリウム(109)を合成した
ドイツ重イオン研究所(GSI)の所在地です。
同じようにここが合成した原子番号110の元素(ダームスタチウム)
は(ダルムシュタットDarmstadt+ium)
から名前をとられており、元素に名前のついた唯一の都市です。
ダルムシュタットは、日本でいえば筑波学園都市の様な感じで、
研究機関や大学が存在します。
GSI以外ではヨーロッパ宇宙管制センター(ESOC)という施設が有名です。
GSIはフランクフルトとダルムシュタット中心部との中間ぐらいに位置し、
ESOCは中心街から市電のトラムですぐという距離です。

ダルムシュタットは第二次大戦末期に爆撃により徹底的に破壊された街を完全復旧させた都市という
意味で、日本の都市と共通点があります。きっと、まだ地下を掘れば、たくさんの不発弾がでてくるのではないかと考えてしまいます。 日本の古墳を発掘したら、鉄剣が出土したように、将来何かのおりに
地中深くから不発弾が発見されるシーンを想像してしまいます。

ちょうど、訪問した時はクリスマス直前の時期で、
市庁舎前の広場には、いろいろなお店が立ち並んでおり、
クリスマス気分を満喫した覚えがあります。
いかにもドイツ的なクリスマス前なのだと思います。
市内のあちこちのお店で、オーナメントを沢山買い込んで
今でも、クリスマスになるとツリーに付けて飾っています。
ヨーロッパのクリスマス前夜の雰囲気は、また、味わってみたいものです。
ESOCを訪問した時は1997年12月でしたが、1996年6月4日に
アリアン5の1号機の爆発事故があり、このときの搭載ミッションだったESAの
太陽圏探査小型クラスター衛星
Cluster-Ⅰ 4機が失われました。
ESOCで
はこの衛星の管制を担当する予定だったのですが、訪問した時には、
なんとアリアン5の爆発現場から回収された、壊れたクラスター衛星が
管制室そばに「必ず成功させる!」というシンボルとして無造作においてありました。

このリベンジ衛星Cluste-Ⅱは4年後の2000年夏に世界初の4機での
隣接編隊飛行衛星として実際に打ち上げられたました。
世の中失敗はつきものです。
失敗を失敗とせず、前進するところに失敗の意味があるように思います。
まさに七転び八起きの精神ですね。
この時は、ここに行く前に97/12/07に日本からフランスのトゥールーズにドゴール空港経由で
行き、97/12/10にトゥールーズからフランクフルトに飛び、フランクフルトからアウトバーンを
エアポートバスで南下してダルムシュタットに入りました。97/12/10-12/13発
ダルムシュタットからはフランクフルトへ戻り、スイスアルプス、アドリア海、地中海
サハラ砂漠の上を通り一路ケニアのナイロビに向かいました。97/12/13夜着、
97/12/14に大きな荷物を置きナイロビからマリンディに移動しました。
つぎは、トゥールーズを機会を見て書いて見ます。
写真はwikiから拝借しました。
原子物理に関係の深いところから始めてみます。
ここは、
コペルニシウム(112)とマイトネリウム(109)を合成した
ドイツ重イオン研究所(GSI)の所在地です。
同じようにここが合成した原子番号110の元素(ダームスタチウム)
は(ダルムシュタットDarmstadt+ium)
から名前をとられており、元素に名前のついた唯一の都市です。
ダルムシュタットは、日本でいえば筑波学園都市の様な感じで、
研究機関や大学が存在します。
GSI以外ではヨーロッパ宇宙管制センター(ESOC)という施設が有名です。
GSIはフランクフルトとダルムシュタット中心部との中間ぐらいに位置し、
ESOCは中心街から市電のトラムですぐという距離です。


ダルムシュタットは第二次大戦末期に爆撃により徹底的に破壊された街を完全復旧させた都市という
意味で、日本の都市と共通点があります。きっと、まだ地下を掘れば、たくさんの不発弾がでてくるのではないかと考えてしまいます。 日本の古墳を発掘したら、鉄剣が出土したように、将来何かのおりに
地中深くから不発弾が発見されるシーンを想像してしまいます。

ちょうど、訪問した時はクリスマス直前の時期で、
市庁舎前の広場には、いろいろなお店が立ち並んでおり、
クリスマス気分を満喫した覚えがあります。
いかにもドイツ的なクリスマス前なのだと思います。
市内のあちこちのお店で、オーナメントを沢山買い込んで
今でも、クリスマスになるとツリーに付けて飾っています。
ヨーロッパのクリスマス前夜の雰囲気は、また、味わってみたいものです。
ESOCを訪問した時は1997年12月でしたが、1996年6月4日に
アリアン5の1号機の爆発事故があり、このときの搭載ミッションだったESAの
太陽圏探査小型クラスター衛星
Cluster-Ⅰ 4機が失われました。
ESOCで
はこの衛星の管制を担当する予定だったのですが、訪問した時には、
なんとアリアン5の爆発現場から回収された、壊れたクラスター衛星が
管制室そばに「必ず成功させる!」というシンボルとして無造作においてありました。

このリベンジ衛星Cluste-Ⅱは4年後の2000年夏に世界初の4機での
隣接編隊飛行衛星として実際に打ち上げられたました。
世の中失敗はつきものです。
失敗を失敗とせず、前進するところに失敗の意味があるように思います。
まさに七転び八起きの精神ですね。
この時は、ここに行く前に97/12/07に日本からフランスのトゥールーズにドゴール空港経由で
行き、97/12/10にトゥールーズからフランクフルトに飛び、フランクフルトからアウトバーンを
エアポートバスで南下してダルムシュタットに入りました。97/12/10-12/13発
ダルムシュタットからはフランクフルトへ戻り、スイスアルプス、アドリア海、地中海
サハラ砂漠の上を通り一路ケニアのナイロビに向かいました。97/12/13夜着、
97/12/14に大きな荷物を置きナイロビからマリンディに移動しました。
つぎは、トゥールーズを機会を見て書いて見ます。
写真はwikiから拝借しました。
2010年3月2日火曜日
von neumannの生涯
物理学の天才列伝 下巻 読了
本の順番は
<量子力学>
プランク/ボーア/パウリ/ハイゼンベルク/シュレーディンガー/ド・ブロイ
<原子核物理学>
キュリー/ラザフォード/
マイトナー/フェルミ
<素粒子物理学>
ディラック/ファインマン/ゲルマン
<天文学・天体物理学・宇宙論>
ハッブル/チャンドラセカール/ホーキング
の記述順なのですが、マイトナーからホーキングを読んで
プランクに戻りラザフォードまでを読むという変な読み方をしまいました。
ド・ブロイってこんな時代だったけ!!と意外と時代感覚がずれていることが分かりました。
さてさて この際次はvon neumannに手をだしました。
これも、その昔読んだヒルベルトの本にneumannのことがでていましたが、
neumannについての単独本は今回が初めてです。
コンピュータ屋さんにはこの名前が付いて回るわけですが・・・・
もともとの数学基礎論屋さんが、量子論の数学的基礎付けやプルトニウム型の原爆の起爆原理である
「爆縮」方式を確立させたり、経済学分野でのゲームの理論構築は、映画「ビューティフルマインド」でも有名なジョン・ナッシュがノーベル経済学賞をもらうことになるエピソードにつながってくる訳で、数学・物理・経済学・軍事・コンピュータに多くの業績を残している天才の生涯を読み始めようと思います。
本の順番は
<量子力学>
プランク/ボーア/パウリ/ハイゼンベルク/シュレーディンガー/ド・ブロイ
<原子核物理学>
キュリー/ラザフォード/
マイトナー/フェルミ
<素粒子物理学>
ディラック/ファインマン/ゲルマン
<天文学・天体物理学・宇宙論>
ハッブル/チャンドラセカール/ホーキング
の記述順なのですが、マイトナーからホーキングを読んで
プランクに戻りラザフォードまでを読むという変な読み方をしまいました。
ド・ブロイってこんな時代だったけ!!と意外と時代感覚がずれていることが分かりました。
さてさて この際次はvon neumannに手をだしました。
これも、その昔読んだヒルベルトの本にneumannのことがでていましたが、
neumannについての単独本は今回が初めてです。
コンピュータ屋さんにはこの名前が付いて回るわけですが・・・・
もともとの数学基礎論屋さんが、量子論の数学的基礎付けやプルトニウム型の原爆の起爆原理である
「爆縮」方式を確立させたり、経済学分野でのゲームの理論構築は、映画「ビューティフルマインド」でも有名なジョン・ナッシュがノーベル経済学賞をもらうことになるエピソードにつながってくる訳で、数学・物理・経済学・軍事・コンピュータに多くの業績を残している天才の生涯を読み始めようと思います。
2010年3月1日月曜日
お雛様
昨夜お風呂にはいりながらラジオを聴いていたら、
時節柄「お雛様」のお話しが流れてきました。
話し手は江戸木目込み人形の作者:塚田詠春氏
この人の作品,作製工程は塚田工房のhpで見る事が出きました。
http://www.edokimekomi.com/
興味を引いたのは、木目込む布地についてでした。
この人の作品では、生地は明治・大正・昭和初期の着物の生地を
集めて使っているとの事で、話の中では「古代ぎれ」と言っていましたが、
この手のリサイクルというか、手法は名物茶器の入れ物の古代裂/古代切
利用など古くからの数寄者好みということなのでしょうね。
ちいさな端切れの値段が途方もなく高価だったというのはよくある話です。
古い着物もおちおちすてられませんね。
以前、「なんでも鑑定団」に出ていた、棗をいれる袋の職人さんが残した
古代裂/古代切に何百万もの値段がついたのを思い出しました。
時節柄「お雛様」のお話しが流れてきました。
話し手は江戸木目込み人形の作者:塚田詠春氏
この人の作品,作製工程は塚田工房のhpで見る事が出きました。
http://www.edokimekomi.com/
興味を引いたのは、木目込む布地についてでした。
この人の作品では、生地は明治・大正・昭和初期の着物の生地を
集めて使っているとの事で、話の中では「古代ぎれ」と言っていましたが、
この手のリサイクルというか、手法は名物茶器の入れ物の古代裂/古代切
利用など古くからの数寄者好みということなのでしょうね。
ちいさな端切れの値段が途方もなく高価だったというのはよくある話です。
古い着物もおちおちすてられませんね。
以前、「なんでも鑑定団」に出ていた、棗をいれる袋の職人さんが残した
古代裂/古代切に何百万もの値段がついたのを思い出しました。
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